「さすが町会長。どうして腎の機能が上がると思ったのですか。」

「腎の機能が上がって、内臓や脳の機能が上がらなければ、スーパーマンのように活躍することはできないと思ったからですよ。肥田春充という方は有名な治療家なのですか」と町会長。

「治療家ではありません。ウィキペディアには肥田式強健術の創始者、思想家、著述家、体育家、哲学者などとして活躍したと書いてあります。」

「ウィキペディアに載っているのですか」と町会長。

「ウィキペディアに載っているだけでなく、当時の新聞などにも超人ぶりが紹介されているので、昔は有名人だったようです。ウィキペディアには『幼少期は病弱な上痩せ細っていたため、「茅棒」のあだ名がつけられ、2度死の宣告を受ける程の虚弱児であった。数え年18歳にして心身改造に志し、古今東西の健康法、運動法を研究実践し、西洋のウエイトトレーニング等に東洋の丹田鍛錬、氣合等を取り入れた独自の心身鍛錬法、川合式強健術(後の、肥田式強健術)を編み出す』と書いてあります。

また、酒井嘉和という方が書かれた『肥田春充師の生涯』というウェブページには、『こうして生み出された健康法は、最初の決意とはうらはらにわずか二年という短期日で、春充の肉体を改造し筋骨隆々となります。この運動のおかげで、全身の血行が著しくよくなり皮膚の色が変わってくる。精神的にそれまで引っ込み思案で消極的であったものが、積極的に爽快、活気をおびるようになる。頭脳が明晰になり、記憶力がよくなる。小食になり、淡白なものを好むようになるなどの大変化があったそうです。そして、兄の勧めにより二十歳という年齢で、同年代の友人たちが卒業してしまった中学校に入学します。この中学校生活のなかで、春充は積極的に勉強と運動法に励みます。特に武術の稽古には熱心で、剣道は二、三ヶ月で上達し、竹内流柔術の免許をわずか六ヶ月で習得しています』と超人ぶりが書いてあります。」

「肥田式強健術を習得すれば、高齢者でもスーパーマンのようになれるのでしょうか」と町会長。

「肥田春充が武道の達人に短期間になったので、今でも肥田式強健術を信奉している武道家の方は多いようですが、脳の機能が上がってスーパーマンのようになった人はいないようです。」

「その理由をご存じなのでしょうか」と町会長。

2019/9/25